偉そうなことは言えませんが、自分なりに常に「どうしたら良くなってもらえるか?」を追求しながら、知らないことを学んでいます。
現在も今までの自分にはなかった新しい視点を得るために学んでいますよ〜!
知らなかったことを知れたり、理解できなかったことが理解できたり、出来なかったことが出来るようになったり、というのは楽しいモノですね(^^)
そう思うと、赤ちゃんは、自分で動けない、口で話せないような状態で生まれてきますね。
それが、寝返りをうったり、ハイハイしたり、モノにつかまって立とうとしたり。
そういったことをしながら歩けるようになって行きますね。次第に話せるようにもなって行きます。
出来なかったことが出来るようになって行っているんですね!
そしてある程度大きくなると、当たり前のように動けたり話せるようになって行きますね。
ここで僕は思うんです。
大人はどうなのだろうか?と。
大阪時代にですね。ある街づくりの集まりに誘ってもらって参加したんです。
20人くらい人が居たかな。
1人ずつ自己紹介を兼ねて自分の想いや考えていることを話されていました。
その中にK大大学院生の女性(20歳くらい)が居ました。
彼女は就職を考えていないと言うことでした。
その理由は、
彼女は通学に電車を使うのですが、行きに乗っている大人の人達が既に死んだような眼をしていて、帰りに乗ってる大人達は更に死んだ眼になっている。
それを見て、彼女は「私はこうはなりたくない」と思ったからだと。
彼女は岡山の田舎に誰も使っていない土地と家があるので、そこでコミュニティ作りをしたいとおぼろげながら考えていると言うことでした。
私は素晴らしいなぁ!と思いました。
日本の戦後教育って、言われたことを出来たら良い、暗記して点数を取れたら良い、みんながやっているから、などという考えでやって来ました。
その影響でしょう。
周りにどう思われるかを気にしたり、周りに合わせ過ぎたり、自分で考える、自分で決める、ことをしない社会でやって来ました。
以前こういった記事を読んだことあります。
所得が高い人が必ずしも幸福ではない。幸福度を上げるには「自己決定」すること
彼女は、自己決定ができない大人達を朝晩見てきて、こうはなりたくない、と思ったのでしょうか・・・
前置きはここまでにして本題に入ります。
私は治療家をさせていただいていますが、医療の世界も同じやな~と思うんです。
患者さんって、お医者さん任せ、医療任せということが多いのではないでしょうか。
お医者さんも、現代医学以外の医療については学んでいないことが殆どでしょうし、現代医療という枠の中でしか治療が出来ませんよね(そういうシステムだということです)。
今の医療は、両者とも「自分で考える、判断する、決める」ということが出来にくいように思うんですね〜。
だからこそ、私は患者さんにとっても学び(気づき、発見、成長)になる治療がやりたいなと思って来ました!
学びになって理解が進めば、自主性に繋がりますね。
本来、学びは楽しいものだからです。
戦前やそれ以前の教育のことは、その時代を生きていないので詳しくは分かりません。
ですが、間違いなく、今の私たちは自分自身のこと(身体のこと、心のこと)を学んでいません。
心身を養う食べ物や、それらが育つ田畑や自然のことも。
また今自分が生きていると言うことは長い歴史(国やご先祖様)があってのことですが、歴史のことも学んでいません。
学んでいないし、専門性=難しい=素人が考えることではない、なんて風になって、いつしか「自分で考える」ことを諦め、他者に任せっきりになってしまったのではないか?と思うんですね。
医療に限って言っても、本来は建物の中で専門の人に何かをやってもらって・・・だけではないんですね。
その医療を深堀りすると、上記のように食べ物、心、農、自然、歴史などに繋がって行きます。
また、医療って心身の「健康」と切り離せないですし、健康って生きていく為の土台です。
と言うことは、医療は「生きていく為の土台作り」と言うことになると思いませんか!?
これからの治療は、一つの「生きるための学び場」になる必要があると私は考えています。
これからどういった風にやって行くか、また楽しみです(^^)