これはとても大切なことだと感じています。
私は現在、治療家として病気の方の治療をしていますが、そのなかで身体だけを診ても限界があると気づかされました。
そして身体と同時に心も観るようにしています。
治療の根本は「本人自身が変わること」だからです。
更に言うと、変わると言ってもどう変わるか?と言うのは、ご本人が「どこを見ているか?」によっても違ってくると思うんですね。
私は病気を治すことだけを目的にしても治りにくいと考えています。
と言うのは、病気を治すことが目標になった時、それを達成したらその先の目標が無くなってしまうからです。
病気を良くするという事は今までの生き方を変える必要があるわけですが、それがただ我慢になるとその後でリバウンドがあるかも知れません。
もっと先の目標を見つけその為に病気を治したいと思う気持ちは、より強い力になるのだと私は思います。
どこに目標を置くかは、自分が今取り組んでいることに対する意味付け(何の為に)をしてくれることにもなると思いますしね。
例えば、
●自分が良くなればいいと思う。
●やりたいことがあるから良くしたいと思う。
●人や世の中の役に立ちたいから良くしたいと思う。
どれが正解か正しいか、ではありませんが、この違いだけでも取り組む意欲、意味が大きく変わって来るのではないでしょうか。
こういうことを病気の時に言われると「厳しい」と思う方も居るかも知れません(ごめんなさい)。
だからいきなりではなく、少しずつ少しずつ変化させて行ったら良いのだと思います(^^)
その時その時の自分の立ち位置によってやることも変わって来ますしね。
私自身、上記に書いたように、最初は身体を診ること主にしていました。
ですが難病患者さん達に出会って「身体だけでは無理だ。心も観ないと治療にならない」と思う様になりました。
今は治療と言うのは身体と心だけでもなく、食、自然、教育、歴史、コミュニティ創り、などに繋げて行くものだと捉えています。
こうして、目標は常に変化しながら遠くの方へ離れて行ってるのです(笑)
少なくとも、目先のことだけでやっていると私自身の心が壊れるし、それでは私が理想としている治療には辿り着けないですから。
武道の稽古で体験したこと
以前、大阪に居た時、友人がやっていた武道の稽古に通っていたことがあります。
腕を水平に前に出した状態で、相手がその腕を下に押し下げようとします。
その時に、ただ力を入れて踏ん張ろうとしても耐えられず腕は下がってしまいます。
ですが、腕から光がはるか遠くまで出ているようにイメージして腕を水平にすると、上から押さえられても下がらないんですね。
これは「どこを見ているか」
と言うことに通じるのだと思います。
それが見えない力であり、意思の強さになるのかも知れません。
病気治しも頂上の見えない登山のようなものです。
時間をかけて悪くなった、良くない生活をしてきて悪くなったのですから、一朝一夕で良くなることは無いのです。
だからこそ、遠くに目標を持った上で日々地道にコツコツ歩みを続けることが、実は遠いようで一番の近道なのかも知れませんね(^^)